年明けてすぐに、父が天国へと旅立った。
3日には実家にあいさつに行こうと思っていたのに、別れは突然で。
お正月に鍋をつつき、特番の相棒を母と観て就寝したのだという。
明け方たまたま目が覚めたタイミングで携帯が鳴った。
意識がなくて救急車で運ばれたと。
私が駆けつけたころにはすでに息を引き取った後だった。
それからバタバタとし、49日も無事に過ぎたので、まずは一区切りついたところで、ブログを書いてみる気になった。
私のこのブログらしい視点(借金ブログ脱赤字ブログ)での記事になること、故人への思いやしきたり等、各家庭で宗派宗教、考え方もいろいろかと思うけれど、私の思いをちょっと書いておきます。
親が亡くなって思ったことなど
近年、糖尿病の持病などもあったけれど、通院してそれなりに普通に過ごしていた父。
おなかが空くようで、いつも何か食べたいと言ってはいたけど、禁煙も禁酒も続けていた。
強いて言えば新型コロナの影響で、通院ペースは落ちていたくらい。
孫のことはかわいがってくれていた。
そんな父が旅立た。
診断書には「急性大動脈解離」
持病はあれど、入院して長患いをしていたというわけでもなく、苦しむことなく旅立ったので、私たち家族としては、寂しいし突然でショックの中でも、少しだけ救いではあった。
ただ、今思えば前兆のような症状はあった。
この1か月で急にむくみ、呼吸も前よりしんどそうだった。
暮れに寄ったときに、もっと話をしておけばよかったなとか、私や弟なんかはいろいろ後悔も残る。
そして、悲しむ間もなく、葬儀の段取りなどは進んでいく。
葬儀までの間に、棺に入れるものを選んだり、父ん遺影を選んだり。
これまた、数年前のまだしっかりとした笑顔の写真があった。
バタバタと用意をし、県内に住む身内(父の兄弟)だけでお別れをした。
葬儀は父らしく、みんな涙ぐんだりもしつつも、ほっこりとした雰囲気で見送ることができた。
小さな葬儀だったのだけど、司会の方が在りし日の父のことや家族の思い出などを読み上げてくれるのだけど、とても素敵な言葉を紡いでくれて、それも家族としては救いとなった。
葬儀などに参列することはあったけど、身内・家族が亡くなるという経験はほぼないに等しいので、わからないことだらけのままどんどん進んでいった。
子どもとして父に何もできてないという想い
父が亡くなって、直後は父のことを想って夜な夜ななくこともあった。
思い出すのは、子どもの頃のことばかり。
小さいころ、よく遊びにつれて行ってくれたし、若いころはちょっとしたことでカっとなる父に、似たもの親子の私もカっとなってよくケンカしたなとか。
大人になってから、数年前に父と一緒に車であちこち回る仕事をしていたのだけど、それも10年近く前のことなんだなと。
あの頃の父は運転もバリバリしてたし、そのころに比べたらやっぱり最近の父はめっきりと年老いていたなーとか。
あと、ふと思ったことが、もっと父を頼ってもよかったのかなーということ。
今は私も多少落ち着いてるまでも、数年前は借金に巻き込まれ生活が苦しかった。
親に相談せずに借金問題と向き合ってきたけど、なんで私は親を頼らなかったのか。
金銭的援助とかではなく、こんなことで困っているーとか。
そんなことをふと思った。
しっかり者の長女気質を発揮してしまった。
あー、でも、借金のことは言えなかったけど、母に言えないちょっとしたことを父に頼んだことはあったな。
葬儀についてのあれこれ
葬儀にはお金がかかる。
まあ、そうなのですが、これらは両親は某葬儀会社の会員になっていたので、すぐに手配もできた。
親族だけの小さいお葬式といっても、一番安いのはほんとに最低限の祭壇等になる。
実際に写真をみて、「これではあまりにもさみしいな」と家族としては思うのであった。
なので、花の数とか祭壇を選ぶとやっぱりオプションを加えることになる。
さらに宗派のお坊さんへの心づけ等々で、やはり100万以上はかかりますね。
葬儀代やお墓の用意など、子どもたちが用意しなければってずっと思ってたのだけど、負担がかからないようになってました。
保険って大事だなって思ったのであった。
CMでもやってますもんね。
「自分の葬儀代くらいはまかないたい」と。
私も「娘に負担かけないように」って思うもの。
もう少し踏み込んだ話
もうちょっと踏み込んだ話をしますが、娘なので香典代やお花代を用意することになります。
こういうの本当に無知なので、マナー本を読んで相場を確認。
親の場合は5~10万、まだ、年齢等によっても変わります。
正直、自分の父親の葬儀なので、何も気にせず香典を渡したかったけれど、実際のところは苦しい財布事情でかなりきつかった。
そんなのは今出せる金額を、気持ちでいいのだろうと思います。
でも、だからこそしっかりとした気持ちを表したいと思うわけで。
どうせ見るのは母なのだし、無理することでもないんでしょう。
まあもし、いま借金などで苦しんでいる人がこのような状況になった場合は、気持ちを伝えればそれでいいのだとは思うんですけどね。
でも、何か助けになりたいなぁなんて思うのも人情。
今後、どんな時でも、状況に応じてスムーズに対応できるように、生活をちゃんと立て直すんだと、改めてこの時思ったんですよ。
例えば、娘の進学とかね。
こんな時だからこそしっかり考えたし、オットくんとも話し合いました。
最後に
悲しみは時間とともに癒えていき、家族で話すのは楽しい思い出ばかり。
旅立つ前の日の夜、鍋を囲み、そのあと父が作ってくれた「おじや」がいつにもましておいしかったんだと、母がいつも言ってます。
意識失う直前も、寝言をいったような笑ったような、そんな感じだったと。
そして、こんなことがないとしっかりしない自分も不甲斐ないのだけれど、父が教えてくれた一つの転機でした。