もうすぐ愛猫の四十九日なんですが、今のところ自宅にて手元供養をする予定でいます。
5年という月日、子ども以上の存在であったことを痛感しているんです。
手元に置いておきたい理由はほかにもあります。
私の人生、後悔だらけなんですが、その中でも後悔していること。
私は過去に1度だけ妊娠したことがあります。
こういう話、苦手な方は今日はスルーしていただければと思います。
また、思い出すと辛いこともあるので、ちょっと淡々と書きます。
妊娠5か月の時に、あまり大きく育ってないことがわかり、2ヶ月入院。
7ヶ月の時、私の体調が悪くなったんですね。
そして、おなかの中で赤ちゃんの心臓は止まってしまいました。
原因は不明ですが、のちにへその緒に血栓ができていたことが原因ではないかということでした。
そして、陣痛促進剤を使って、私は赤ちゃんを出産しました。
その後、家族の勧めもあり、私も納得して、お骨はお寺に納めました。
でも、やっぱりもうしばらく一緒にいるべきだったなと今でも思っています。
その後、姉猫と暮らし始めるわけです。
姉猫のおかげで私の心は癒されました。
その姉猫が今はもういません。
2度も大切な存在を失って、心の底に封じ込めてたものが顔をのぞかせるようになりました。
また、姉猫は一緒に5年も暮らしたから、オットくんにとっても「一緒に時間を過ごした」という確かな時間があります。
私はオットくんは冷たい人だと思っていたけれど、そうじゃなかったんだと気づきました。
男の人にとっては、おなかにいるときは実感しにくいこともあるんだろうなと。
こどもを失って、悲しくない人はいない。
特に、一緒に過ごした時間があればなおのこと。
愛猫の場合はうれしい時もつらい時も、ずっと私たちと一緒にいたからなぁ。
存在が大きい。
手元にお骨を置くことは、賛否両論あるかとは思うんですが、過去の後悔もあるし、オットくんも愛猫は手元で供養したいという
思いがあるので、そうすることにしました。
いつか、時間が経てばまた、納骨しようと思える日も来るかなと。
落ち込んだとき、宇多田ヒカルの「Time Will Tell」を歌うと、ちょっと元気が出る気がします。
最近になって、ちょっとだけ不思議なことがあったのですが、今日はこの辺で。
本当は別のことを書こうとしたのですが、今日は四十九日のこととかを考えてたので、こんな記事になってしまいました。